忘れはしない時と唄

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【小説】闇に溶ける闇 『幻』 

見たくないものを見て

聞きたくない声を聞いた




 モップを握った麻紀の手は、力み過ぎて白くなっていた。ぎゅっという音が聞こえてきそうだ。
 目を逸らしたくても、視界いっぱいに広がる血の海は逸らしようがなかった。
 恐ろしいことに変わりはなかったが、背後の扉の向こうには、生きた人間がいる。男の人が。そのことが、麻紀の不安や恐怖を和らげた。
 点滅する蛍光灯の下を歩き、てらてらと光を反射する血痕に視線を落とす。
 血の色は黒く沈んでいる。
 また吐き気を覚えて飲み込んだ。
 時折、避け損ねて血痕に足をとられた。ぬるりという感触が靴底から伝わり、首の後ろがざわめく。

 一番奥の、点滅する蛍光灯の下で足を止める。
 右手に問題のトイレ。左手に洗面台と唯一割れていない鏡。
 今更になって、もしも何かが飛び掛ってきたらと不安に駆られた。死体じゃなくて、何か、別の何かが――
「ええい!」
 頭をふるって、麻紀は震える手で握り締めたモップを思い切り戸に突き当てた。
 開かれた戸の向こうでは、死体の替わりに真っ赤な血に染まった壁と便器が待ち構えていた。壁に散った血が麻紀の顔を見届け満足したのか、つうっと一筋流れ落ちる。
 麻紀は叫んだ。
 手にしたモップを放り投げると、床に溜まった血痕に落ちてぱっと血が跳ね返ってきた。
 血だ! 血だ! 血だ!
 目を見開き、震える手で頬についた血を拭う。ぱっくりと開いた口からは、無意識に声が漏れ続ける。足に根が生えたように動けなくなった。
 耳鳴りが、眩暈が、吐き気が――
 ずきん。
 再び頭に激痛が走る。こめかみを押さえ、麻紀は思わず屈みこんだ。

 ――めて……が……い
 ――け…………れか

 はっと身じろぎ、麻紀はすばやく左右を見渡した。
 今の声、さっき頭痛が起きた時にも聞こえた声だわ。
 そうよ。麻紀は記憶をさかのぼる。何かを途切れ途切れに言っていた。あの時はてっきり、扉の向こうにいる男が何かを言ったのだと認識してしまった。だがそれは間違っていた。
 声の主は――「女」だったのだ。
 ぞくりと毛が逆立つ。麻紀の心臓が早鐘を打った。
 気がついてはいけないことだった。
 知ってはいけないことだった。
 ふいに。
 麻紀の背後から、いるはずもない「誰か」の視線を感じ、麻紀は無心で扉へと走った。
 助けて。助けて。誰かが――
「誰かいるわ!」
 扉に貼りついて麻紀は男へ叫んだ。汗ばんだ手のひらが、ずりと扉を滑る。
「怖いわ! 誰かいるわ! 助けて!」
 だが、不審なことに返ってくるのは静寂のみだった。それがますます麻紀の恐怖を増長させた。
 何故? どうして? 彼は扉から離れてしまったの!?
 どんと大きく扉を叩きつける。声が聞きたい。同じ境遇である、彼の声を聞きたい。独りぼっちではないのだと安心したい。
 背中には、依然として視線がべったりとくっついたままだ。
 呼吸が乱れ、意識が遠のく寸でのところで返事があった。
「……静かに、してくれ」
「いるなら早く返事してよ!」
 なんて意地悪な人なの! 麻紀は憤りを通り越して涙が止まらなかった。
「死体、はあったのか?」
「なかったけど、でも、誰かいるの! ずっと見られてるわ! 怖い、怖いの、怖いのよ! 早くここを開けてちょうだい!」
「誰か、って……」
「知らないわよ! 見えないんだもの!」
 自ら放った言葉で、麻紀はその存在を認めてしまった。
 目に見えない誰かがいる。それも、麻紀の背後からこちらをじっと見つめている。動くことなく、ただ静かに。
 すると再び、男はとんでもないことを言ってくれた。
「確認、してみろ」
 さすがに麻紀は大きくかぶりを振った。
「出来るわけないじゃない! あなたに代わって欲しいわ!」
「また……無茶なことを」
 わざとらしく、大きく息を吐く音が聞こえた。この状況でよくもそんなため息がつけるものだ。
 麻紀は扉の取っ手を握り、やかましくガチャガチャと回してみせる。
「まだ開いてないの!? あなたさっき、やってみるって言ったじゃない!」
「いや……だから、動けないんだ」
「それでもやってみるって、あなた言ってくれたわ!」
 両手で顔を覆い、麻紀はわっと泣き叫んだ。死ぬんだわ。私、このまま後ろにいる誰かに殺されるんだわ。
「多分、大丈夫、だ。確認してみろ」
 落ち着いた男の声が耳に届く。
「恐怖で、頭が混乱しているのかも、しれない。錯覚かも、しれない」
 大丈夫だ、男はもう一度言った。不思議とその言葉が身体に響く。
 肩を震わせしゃくり上げつつ、麻紀はほんの小さな勇気を振り絞ってゆっくりと振り返った。
 視線の主は見当たらなかった。気配すら感じない。それと同時に背中に貼りついていた視線がすっと消えた。
「……いない」麻紀は呟く。「誰もいないわ」
「思い込み、だったんだな」男は言った。「恐怖の極限状態、だったんだ。幻覚も、見るさ」
 はぁ、と麻紀は深く息をつく。強張っていた心がゆるりとほぐれた。
「幻覚、ね」
「鏡に映った自分でも、見たのか?」
「鏡?」
 言われてふと、小さな違和感を感じたが、それもすぐに消えてしまった。
「ああ、そうね。鏡ね。それで誰かに見られてるって勘違いしちゃったのかもね。でも私、怖くて見てないのよ」
 ふふと笑って麻紀は続けた。
「だってきっと、今の私お化けよりひどい顔してるもの」

 場所が場所だが特に危険なところも見当たらなかったので、麻紀はひとまず男と助けを待つことにした。
 他に出口があるかもしれないが、この扉が開けば二人で探すことが出来る。さすがにもう、一人でこの部屋を詮索する気になれなかった。
 何度も騒いではうるさいと注意されたのだ。少しは大人しくしなければ、彼も気持ちが落ち着かないだろう。
 時折、ゴツという鈍い音が扉に響く。ようやく男が、何とか鍵を開けようと動き出したのかもしれない。麻紀はほっと安堵した。
「あなたは、ここに閉じ込められる前の記憶あるの?」
 訊ねてから、そういえば彼は何て名前だっけと考え込んだ。
「……いや」と答えた彼の言葉で、ああ、一度訊ねた時もその一言で終わったっけと思い出した。
「私も、覚えてないのよ。ねぇ、あなた名前は?」
「……わからない」
「名前も覚えていないの? 動けないみたいだし、あなたよっぽどこっぴどくやられたみたいね」
 我が身が安全である為か、麻紀は口調が軽くなる。
「私ね、閉じ込められる前の記憶はないけど、それよりも前の記憶ならあるの」
「……どんな」
 聞かれて、麻紀は少しだけ嬉しく思った。身の上話に付き合ってくれるというのだろうか。
「私ね、大手メーカーの紙パルプ商事に勤務してるの。今年で三年目よ。それで……」
 妙だ。麻紀はとっさに悟った。
「そういえば私、最近休みがちになっていたわ……」
 記憶を辿ると、どこかもやがかかってはっきりとしない。自分でもわからない部分が出てくるのは何故だろう。
「友達の結婚式が先月あったんだわ。でも……そうよ、私、行き損ねた」
 それはどうして? 何か理由はあったのだろうか?
 じわりと背中が汗ばんだ。何かとてつもなく嫌な予感が麻紀の脳裏をかすめていく。
 膝を立てて座っていた体勢を崩すと、かさりと上着のポケットで音が立った。首を傾げ、麻紀はポケットに手を滑り込ますと指に何かが触れた。
 一枚の紙切れが出てきたのだ。



『記憶』へ続く
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カテゴリ: 中編

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コメント

No title

血が床に流れると結構処理が大変なんですよね~~。
原則的に素手で拭いちゃいけないですし、ぬるぬるしているから雑巾で拭いてもあまりよくないですし・・・・。それに処理も普通のゴミに捨てれないので、2重に袋に入れないといけないですし。感染の問題もあるから、消毒を徹底的にしないと・・・・・ってそういう話ではないですね。
とりあえず、血がかかったら消毒をしましょう。感染経路になりかねないので。・・・ってこの話はホラーでしたね。。。。。すいません。

LandM(才条 蓮) #19fPlKYU | URL【2011/07/17 09:09】edit

>才条 蓮さん♪

うははは^^
面白いコメントをありがとうございます(笑)
そうそう、そうですよね~!もう、誰なんだこんなに血まみれにしやがったのは!後片付けが大変なのにっ(笑)

確かに、素手で触るのはとっても危険なんでしょうね。触りたいとも思いませんが…^^;
そういった意味では、処理をしてくださる方々に感謝、感謝なのです><大変なお仕事をありがとうございます!です^^

消毒、大事。
でもこのお話で消毒するシーンは…ないかも…?(ないだろ
うふふ♪いえいえ、楽しかったのです^^
コメントありがとうございました♪

chacha #- | URL【2011/07/17 23:00】edit

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