忘れはしない時と唄

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【小説】闇に溶ける闇 『闇』 

ここはどこ

私は――




 麻紀が目を覚ました時、まず一つ目の違和感はベッドの硬さであった。
 さて、ベッドとはこんなにも硬いものだっただろうか。こんなにも冷たいものだっただろうか。
 頬にまとわりつく、ざらりとした感触。そしてこの異臭は何だろうか。
 丸めた身体を少しだけ動かすと、節々が小気味良い音を鳴らした。直後、身体中が痛みに悲鳴をあげた。どのくらいかはわからないが、随分と長い間同じ体勢でいたらしい。
 まだ頭の中にぼんやりともやがかかっている。そこで麻紀は二つ目の違和感を覚えた。
 真っ暗闇。
 目を何度かしばたたくが、辺りは闇の化身がそっくり返っているらしく、何ひとつ見えなかった。
 今は真夜中だろうか。
 ここは私の部屋だろうか。
 とすれば、寝返った拍子にベッドから転がり落ちたのだろうか。
 思考を巡らすより先に、本能が身を乗り出して否定した。
 いいや。ここはおまえの部屋ではないぞ。
 ぱっと意識が戻ってきた。冴え過ぎるほどにはっきりと。入れ替わりに、身体中の血がみるみる引いていくのがわかった。
 ここは、どこ?
 あまりに全てが突然すぎた。頭が次々と混乱に踊らされる。
 痛みをこらえつつ上半身を起こした麻紀は、もがくようにあちらこちらに手を伸ばしては空を掻いた。何かに手が触れれば、この闇の中で独り佇むよりもいくらか――といってもさして変わりはないだろうが――心が落ち着くだろうに。ここが無限に広がる闇でないことを実感したい。
 だが、何にも触れることも、ましてや掴むことも出来なかった。
 虚空。
 どこ? ここは一体どこなの?
 恐怖に麻痺していた心が、とうとうたまらず泣き叫んだ。身体が震え上がり、唇がわななく。涙が堰を切ってあふれ出る。
 気がつきたくもない時に、人は返って意識がはっきりするのかもしれない。
 三つ目の違和感。
 麻紀は目を覚ます前まで、自分がいつ、どこで、何をしていたか、「何一つ思い出せない」のだった。
「いやぁぁぁぁぁ……!」
 恐怖を呑み込むと、叫び声となって吐逆された。
 乾いた喉奥から抜け出た声は、思った以上にか細く掠れたものであった。治まらない心臓の震えも加担しているようだ。
「誰かぁぁ…………!」
 先ほどよりもさらにひどく掠れた声が、喉にひっかかりつつこぼれ出た。叫んだ声が不自然に響く。
 くぐもっている。
 例えばそう、トイレや風呂場ほどの狭い空間ではなく、映画館や体育館ほどの大きな空間でもない。家の中でいうなら、広いリビングほどかもしれない。
 虚空ではない。
 麻紀はすぐさま息を殺して耳を澄ました。自分の心臓が驚くほどうるさかったが、他には何も聞こえなかった。
 この空間には、麻紀しか存在しない。
 そう判断すると、まずは光。電気を点けようと、麻紀は涙を拭って四つん這いになり、手足を床に這わせた。
 壁まで辿り着けば、その壁を伝って歩いてみよう。どこかにスイッチがあるはずだ。
 泣いてばかりいられない。
 怯えてばかりはいられない。
 どこだかわからないこの空間から、一刻も早く脱出しなくては――
 そう自身に言い聞かせて奮い立たせるも、心臓はいっこうに治まる気配はないし、手足の震えはひどくなる一方だった。

 頭がそこまで回らなかった為か、床を這うことによってわかったことがある。
 冷たい床はボコボコとした手触り。古い、風呂場のタイルのような感触だった。ところどころタイルが剥がれ、さらに硬く、冷たいコンクリートらしきものがむき出しになっている。そのせいで進みは悪く、麻紀は何度も手足を引っ掻き痛い目に遭った。
 ゆっくり焦らず、前へ、前へ。
 進むたびに、床を擦る乾いた音が立った。
 眼前には、目が痛くなるほどの闇が無限なく広がり続ける。このまま行っても、壁など見つからないかもしれない。早くも心が折れてしまそうになった。永遠にここから出られないかもしれない。
 すると再び、恐怖が手足から這い上がってきた。
 一度止まったはずの涙があふれ、垂れてくる鼻水をすすり上げると、手の甲や服の袖で顔中を拭い回す。
 だがほんのひととき、ほんの一瞬だけ、何故だか恐怖から解き放たれ、麻紀は自分でも可笑しなことを考えた。
 そういえば私、化粧をしていたかしら。こんなに拭っていたら、お化けよりひどい顔をしているわね、きっと。
 そんなのん気な思考が、恐怖に染まった心に少しだけゆとりを与えた。
 なんだ私、結構、肝が据わってるじゃない。
 身体の震えが小さくなった気がした。

 歩む速度はそのままで、より辺りを見回すことに気を配る。
 壁は見えないだろうか。どこからか光は漏れていないだろうか。
 麻紀の隣で赤ん坊をはいはいさせれば、いい勝負になるかもしれない。それほど慎重に歩み続けた。
 一歩、一歩、また一歩――
 自然と一定のテンポを保ち始めた手足が、さあお次は右手の番だと踏み出すと、今の今まで出くわさなかった何かに触れて、麻紀の髪の毛がわっと逆立った。
 床が濡れていたのだ。
 慌てて右手を床から離すと、身体の重心が狂ってしまった。
 ぐらりと傾く身体。
 麻紀は空いた左手を伸ばし、えいやとばかりに踏ん張った。危うく倒れるところだったと、ほっと一息ついて気づく。左手は紛れもなく、「壁」に触れていた。
 ――壁だ!
 胸の奥から歓喜の歌が聞こえてきそうだ。恐怖と不安がぐっと身をかがめて縮こまる。
 麻紀はすばやくその壁に両手をつき、まだ震える足に力を込めて立ち上がった。濡れた右手はひとまず服に擦り付ける。
 ふっと、何か異様な臭いを感じたが、どうにも脳がそれを認めようとしない。この臭い、どこかで嗅いだことがあるはずなのに。
 疑念を持ちながらも、とにかく今はこの闇から解放されたい一心で、頭の中から追い払った。
 冷え切った指先を壁の左右に這わすと、何やら小さな突起物に触れる。両手で念入りに触って形状を確かめると、麻紀は思わず笑みがこぼれた。
 運良く、スイッチが見つかったのだ。
 突起物を下げると、カチと無機質な音を立て、部屋一面が一瞬にして光に包まれた。
 暗闇に慣れていた麻紀の目には、あまりにも眩し過ぎる光。
 生まれて初めて外界に出た時のように。麻紀は、ゆっくりと目を開く。
 そうして目の当たりにしてしまったのだ。想像を絶する、恐ろしい光景を。
 三度目の叫びは、とうとう声にはならなかった。

 血、血、血――!

 麻紀の目に飛び込んできたのは、おびただしい血痕だった。
 意思とは関係なく両手を口に当てると、瞬く間に胃の奥から嘔吐物が突き上げるように吐き出された。
 何度も何度も吐き続け、涙を流した。唇からは嗚咽が漏れた。
 震える両手を顔から離すと、ひっと小さな悲鳴をあげた。右手が真っ赤な血で染まっている。
 先ほど床が濡れていると思ったのは、これだったのだ。
 異臭は、この血痕だったのだ。
 尋常ではないほどの大量の血痕は、部屋の奥まった隅――一番奥の個室から麻紀の傍にあるこの部屋唯一の扉へ、何かを引きずったかのように伸びている。
 個室、と表現したのは、この部屋が個室トイレの立ち並ぶ空間であったからだ。おおよそ高級ホテルさながらの広さだろう。だが、見るからに不衛生で雑然とし、その場にいる者を否応なしに不快にさせた。
 天井には、どこからどこを繋いでいるのかわからない細いパイプが迷路のように交差しており、点灯したばかりの蛍光灯は、手前から二つ目と一番奥が点滅を繰り返している。
 窓もないことがよりこの空間の暗さを助長しているのだろう。
 洗面台は個室トイレと同数五つが対峙して設置されており、鏡はほとんど割られて床に散乱していた。
 扉はただ一つ。
 だが血痕は、その扉の向こうへと続いているのだ。
 麻紀は今すぐにでもここから逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、その様が、その異様な光景が、怯える心の尾を掴んで離さない。

 扉がある。
 ここから出られる。
 だが、外は安全だと言い切れるだろうか?

 そうはいっても、ここで助けがくるまでのんびり待てるほど状況は――それ以上にこの場所は良いものではない。
 麻紀は袖元で口まわりを拭うと、改めて自らの衣服が黒の上着に同色のパンツスーツであったことを認識した。仕事へ向かう途中か、もしくは帰宅途中、誰かの手によってここへ閉じ込められたに違いない。
 何にせよ、出口はすぐそこにある。
 麻紀は血痕をまたいで避けると、一呼吸置いてから扉の取っ手に手を添えた。

 ガチャガチャ……ガチャ。
 
 失意のため息。
 予想はしていたが、ほんのちょっぴり期待もしていた。だがその願いも雲散霧消してしまった。
 扉には鍵がかかっていた。
 ならばと気持ちを入れ替えて、麻紀は背後に広がる恐ろしい光景を見ないよう、扉の前に向き直った。
 両の手は拳を固め、可能な限り声を荒げる。扉を打ち鳴らす。
 誰か。誰か。ここから出して。
 普段こんなにも声を張り上げたことのない麻紀の喉は瞬時に傷つき、激痛が頭のてっぺんにまで走った。だが、諦めれば一生ここから出られないかもしれない。とにかくここから一刻も早く抜け出したい。
 この手を、この声を止めることさえしなければ、きっと誰かが気づいてくれるはず――
 ずきん。
 唐突に訪れた頭痛に、麻紀は思わず騒ぎを止めてこめかみを押さえた。

 ――か、……けて

 はっと目を見開く。耳を研ぎ澄ます。
 今の声は、誰?
 心臓がひっくり返るほどに激しく鼓動する。
 辺りはしんと静まり返り、点滅する蛍光灯の耳障りな音だけが妙に響いていた。
「……誰、か……いるん、ですか……?」
 情けないほど震える声で、麻紀はどこへ向けるでもなく、呟くように問いかけた。
 空唾を何度も飲み込み、息をひそめる。
 もしも、後ろから声が聞こえたら……
 想像して背筋が凍りついた。恐ろしい考えばかりが頭に浮かぶ自分の脳が恨めしかった。

 どのくらい経ったのか。いや、もしかしたらほんの数秒だったかもしれない。
 今度は確かに、扉の向こう側から声がした。


『声』へ続く
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カテゴリ: 中編

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コメント

No title

そういや、一回血まみれの利用者の応急処置をしたことがありますね。あの鉄の匂いと傷口を押さえてもダラダラダラダラダラダラ流れている感覚。そして、自分の手に生暖かい血が流れ込む感覚は今でも覚えていますね。
あ、ちなみに私の仕事は介護師です。
ナースとドクターが来るまで、私(と後輩)が何とかしなきゃあいけないんだあ!!という気持ちで応急処置をしておりましたね。

LandM(才条 蓮) #19fPlKYU | URL【2011/07/12 20:58】edit

>才条 蓮さん♪

こんばんわ^^
そちらにご訪問出来ずで申し訳ないですのに、コメントありがとうございます><

なるほど、才条さんは介護師をされているんですね^^どうりで…コメントいただく度抱いていた疑問が払拭されました。
様々な経験をもとにいただけるコメントの数々はとても真実味があり、参考にもなりましたので^^ありがとうございました♪

応急処置など、責任感も強い立場での対応は心身共に大変でしょうが、これからも頑張ってください!才条さんのような方がおられるから、繋がる命もあるのでしょうね^^

chacha #- | URL【2011/07/12 22:51】edit

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