忘れはしない時と唄

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【小説】プラスの世界 

君は本当に

とんでもなく、どうしようもないくらいポジティブな人だね





 久本武志には、先日付き合い始めて三周年を迎えた恋人がいる。
 会社の同僚として知り合った彼女――伊藤章子は、第一印象はいまひとつだったものの、会話をする度に何とも馬が合うことにお互いが気づき、幾度のデートを重ねた後、いつしか恋人同士の仲へと進展したのだ。
 一年目には半同棲が始まり、二年目には章子のワンルームマンションで共に生活を始めるようになった。
 半同棲の時にはあまり目立たなかった彼女のとある性格が、同棲を始めてからというもの、武志にはよく目につくようになった。悪いことではない。決して。それだけは言えるのだが。
 彼女は人一倍ポジティブな人間だった。


「ドーナツが食べたい」

 大雨が降り続く初夏のある日。部屋のアナログ時計は夜の九時半を指していた。
 コチコチと刻む秒針の音が苦手な武志の為にと、去年購入した連続秒針時計が壁に掛かっている。時間が判りやすい、シンプルな時計だ。
 武志は時計をおもむろに仰ぎ見てから、章子へと視線を移す。
 章子の表情は、唐突だがしかし、その願いは今までずっと胸の内で想っていたことで、やっと時が来て解放されたかのような清々しいものであった。

「今から? もう店閉まってるよ、きっと」

 武志のその言葉を待っていたかのように、章子はニヤリと笑った。

「ドーナツ屋は十時まで開いてるのよ」
「じゃあ今から買いに行くつもりかい? 外は土砂降りだし……今から食べると、太るよ?」
「関係ないわ」

 章子はふんっと体を退け反ってみせた。なんとも頼もしい印象を受ける。

「脳が言ってるの。指令を出してるのよ、甘い物を食べろって。きっと糖分が足りてないんだわ」

 得意気に理屈を並べる章子だったが、実は一昨日の晩、一人でケーキを三切れ平らげている。
 武志は章子に気づかれぬよう小さく苦笑すると、ソファーから重い腰を上げた。

「それじゃあ、早く行こうか」

 武志は笑顔でそう言葉を投げかけたが、章子はその言葉をあっさり叩き落としてしまった。

「いいえ。私一人で行ってくるわ。ちょっと行って帰ってくるだけだもの。せっかく仕事から解放されてくつろいでるのに、何だか悪いわ」

 そう言いながら、章子は大きくかぶりを振った。
 武志としては、せっかく立ち上がったわけだし、章子一人をこの雨の中、しかも暗い夜の中運転させるのは心配だったので、一歩章子に歩み寄るともう一度「一緒に行こう」と促した。
 だが、彼女は再び遠慮気にかぶりを振ると、テーブルの上に置いてあった財布を手にし、とうとう玄関まで駆け出して行った。
 彼女のあまりの機敏な行動に、武志は二秒ほど呆気に取られて動けなかった。はっと我に返ったと同時に慌てて章子の後を追いかけたが、すでに彼女は扉の外だった。
 仕方がない。
 武志は首の後ろに手を添え、ため息をひとつ吐くと、再びソファーへと深く腰を下ろした。いつも二人で見ているテレビ番組にチャンネルを合わせると、ソファーの背にもたれ天井を仰ぐ。
 時々、彼女はああやって一人で行動したがるのだ。こういう時は放っておくに限る。せいぜい往復でも三十分足らずで帰ってくるだろう。そう大きく構えていた。
 だが、章子が帰ってきたのは掛け時計がちょうど十一時を指した時だった。


 章子は遅くに帰ってきたにも関わらず、にこにこと楽しそうに笑いながら武志の横に腰を下ろした。手には……財布一つのみだ。

「遅かったじゃないか。もうあと一分でも遅かったら捜しに行こうかと思ってたよ。携帯も持っていってなかったし。大体ドーナツはどうしたんだ?」

 ごめんごめんと平謝りしながら、章子はテーブルの上に置いてあった飲みかけのお茶を手に取った。
 武志は不機嫌そうにため息をつくと、章子に何があったのか訊ねた。章子の話はこうだ。

 時々買いに行くドーナツ屋が、いつの間にか潰れていたのだ。
 仕方なく、章子は少しだけ足を伸ばして十時まで営業している百貨店へ向かった。が、そこには章子が欲しかったドーナツが売り切れていた。
 そこで章子はちらと店内の時計を確認する。
 九時五十二分。
 もう一つ、少し遠いが同じ系列のドーナツ屋がある。車でも最低十五分はかかる場所だ。だが、章子は迷わず車に乗り込み、そこへ向かったのだ。
 そこで武志が話に割って入った。

「十時閉店なのに、もう間に合わないとは思わなかったのかい?」
「お客がくれば、後片付けしてても売ってくれると思って。それに、店内で飲食してるお客が居ればまだ開いてると思ったのよ」

 その希望も空しく、章子が最後の頼みで訪れた店は真っ暗だったという。

「十分よ? 十分遅かっただけでもう真っ暗なんてありえないわ。きっと今夜は大雨だから早く切り上げたのね」

 憤りながらも、章子の表情は至って笑顔のままだ。そこで武志は、どうも時間の計算が合わないことに気が付いた。
 十時十分にそのドーナツ屋を後にすれば、家には二十分ほどで着くはずだ。空白の三十分間、章子は一体どこで何をやっていたのか。

「あぁ、それはね。やっぱり欲しかったものが買えなくてイライラしちゃったの。それで私の好きな曲を大音量で聴きながら車を走らせたのね? 歌とかも歌っちゃった。外は雨音が凄くて車内の音は漏れないだろうし、一人カラオケみたいで気分がよくなってきちゃって。そのままちょっとドライブしちゃったの。楽しかった!」

 なるほど、と武志は納得した。
 大声を出すことはストレス解消にもなる。ドライブだって、運転好きな章子にとっては気分転換となるだろう。
 いつの間にやらドーナツのことなど頭の片隅のそのまた奥へと追いやられてしまったようだ。彼女はもうドーナツが食べたいなどと言わなかった。

「ドーナツ、残念だったね」と武志が一言労いの言葉をかけると、章子はまた太陽のように笑った。
「三軒回って買えなかったってことは、食べるなってことよ」

 武志は感心するばかりだった。


 それから何度となく、章子のポジティブな言動にはただただ呆気に取られながらも感心していた武志だったが、一つだけ、彼女は小さな悩みを持っていることに気が付いた。

「結婚線がないのよね」

 小指の下、感情線までの間に横線が全くない章子。いつだったか二人で神戸の『占いの館』へ行った時も、占い師に同じことを言われてしょんぼりとしていた。
 武志と章子は、付き合い当初からなんとなく自分達は結婚するだろうとお互いに感じるものがあり、時々「結婚したら……」という話も自然と出ていた。だから、武志も章子も特には気にしないように心がけていたのだ。
 だが、ある朝事件が起こった。


 まだ日が昇り出したばかりの早朝。章子は寝ぼけ眼でのそのそと起き上がり、朝シャンを浴びる用意をしていた。
 ふと、台所の横を通った時に、昨日洗い残したガラスコップが目に入った。たった二つだ。所要時間はたかが知れている。
 章子は朝シャンを浴びる前に洗い物を済ませようと、コップを手に取った。
 洗剤を付けたスポンジでコップを磨いていると、泡で手元が滑りコップが落ちてしまった。そこが、コップの寿命だったのだろう。あまりにも容易く、パリンと音を立てながら割れたコップの破片が、シンクの底で跳ね返って章子へと飛んできたのだ。
 反射的に手をかざして顔を守った章子。次の瞬間には、右手の側面から大量の血が流れ出した。
 パニックに陥りながら、章子はまだ眠っていた武志を叩き起こした。助けを請う為だ。

 武志が目を覚ました時、章子はあと一歩で過呼吸になるほど錯乱状態だった。
 血が止まらない。ティッシュでどんなに止血しても止まらないのだと、何度も和也に泣きながら助けを求めた。
 武志は飛び起きて章子を洗面所へ連れていくと、流水で傷口を洗い流した。痛くても、傷口にガラスの破片が入っていては大変なことになる。
 ぱっくりと裂けた傷口は決して浅くはなかったが、綺麗に切れていた為に治りが早そうな傷口でもあった。
 ひとまず傷口を絆創膏で覆い、包帯を巻いた辺りで章子は平常心を取り戻した。

「会社行く前に病院行って傷口縫ってもらわないとな」

 武志が章子へそう言うと、章子はまたかぶりを振った。

「そんな、大袈裟ね。もうこれで大丈夫よ。今日は私掃除当番なの。早く行かなきゃ」

 武志はまた、章子のその言葉に二秒ほど呆気に取られていた。自分の怪我より会社の掃除が上なのか?
 大怪我と言ってもいいほどの傷口。身の部分まで裂けてしまっていた。縫えば二週間ほどの軽傷だが、放置していれば――自然治癒力に頼るのならば――一ヶ月以上はかかるだろう。
 武志は口が酸っぱくなるほど病院に行くよう促した。
 だが、結局章子は病院に行かなかった。


 それから一ヶ月が経った。
 痛々しい傷跡が残った章子の手のひら。だが、当の本人はとても嬉しそうにそんな手のひらを見つめている。

「見て見て! とうとう結婚線が出来たわよ! あの事故は運命だったのね!」

 傷跡は上手い具合に『章子の結婚線』として役目を得たようだ。武志は章子のそんな発想と言葉に感嘆した。
 章子はどんな嫌なことがあろうとも、辛いことがあろうとも、大変なことが起ころうとも――

「これが運命だったのよ」
「これで良かったわ」

 と笑顔で語る。後悔を全くしない。いつもポジティブなのだ。

「結婚線が出来たか……」

 武志は小さく呟くと、一つの大きな決意をした。
 来月は章子の誕生日。
 その時、彼女にプロポーズしよう。



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コメント

こんばんは(*´∀`*)ノ

chachaさん、こんばんは^^;
新しいのがupされていたので、さっそくクリック!

ええわあ(*´ω`*)
章子さん、実際にいそうで、エピソードや描写がとてもリアルでした。
ポジティブっていいですね。周りがパッと明るくなるというか。
武志さんが章子さんを選んだのもわかります(*´ω`*)

オチがどうなるのか、もしやタイトルを裏切って悲恋に終わるのかとハラハラしながら読んだのですが、こう来たか! って感じで、今回もchachaさんのストーリーテリングにやられてしまいましたwww
日常を切り取るのが本当にお上手だと思います。
変化に乏しい日常を、こうやって上手くクローズアップできる方は、きっとジャンルにこだわらないお話作りが出来るんだろうなあ。
う~ん、悔しい( ´・ω・`)ショボーン

悔しいので私も頑張りますっ(*´∀`*)ノ
また来ます^^;

土屋マル #- | URL【2011/07/02 01:25】edit

>土屋マルさん♪

こんばんわ~^^
いつもコメントを本当にありがとうございます♪

はい。密かにアップする身勝手な奴です。あいすみませぬ。
それを特に「new!!」とか記載せず、知らない間に増えているという。何とも読み手の方には不親切この上ないですね。ごめんなさい;;

これ!
そうなんです、そうなんです♪
実はこそーり「ノンフィクション」と位置づけておりまして…。これ、実際あったお話なのです^^
やっぱりリアルなお話は内容も書きやすい♪想像するのではなく、記憶を記すんですもの^^なので、嬉しいお言葉をありがとうございました☆

オチ。ぷぷぷ。見方によったらなんとも破天荒な性格なんだと言われそうですが、それでも嫁にもらってくれる武志はとってもイイ人なんでしょう(笑)

私なんて本当、ちんけな端くれ者ですよー!><
マルさんにこうやってコメントもらうだけでも、頭が下がる思いなのに…なんとも勿体無いお言葉を…!本当にありがとうございます!;;

また是非とも、来てくださいね~♪

chacha #- | URL【2011/07/03 00:53】edit

ステキ☆

超ポジティブ!!素敵だわ、章子さん!
いいですよね、前向きな性格って。
突然言い出して、けれど人を巻き込まず自分で行動する。
そして自分で納得したら、愚痴も言わずに思考を切り替えられる。
好きです、こういう女性。

しかも、結婚線!
そうきたか!と。
でもでも、確か手相の線って自分でつけてもいいらしいって聞いた事があるので(うろ覚えですが)、偶然に出来たその線は有効ですね♪
しかも、それと関係なく、武志くんは結婚を意識していたわけだし。
きっかけをくれたのは、偶然と、章子さんのポジティブな性格ですね^^

……て、ノンフィクション?
実際にあったお話ってことは……、おぉ♪

kazu osino #7av6LuR2 | URL【2011/08/05 13:57】edit

>kazuさん♪

返信遅くなってごめんなさいです;;
はい、右手の結婚線は事故で出来たchachaです(笑)
もー本当に、あの時は血がどくどく出るから怖かったです><
でもね、その日は掃除当番だったんですよ。
だからカットバン貼って、包帯巻いて会社に行きました^^;
しばらくの間は痛かったです~;;ちょっと当たっただけで…
でも、結婚線が出来て良かった良かった♪もう一回神戸の占いに行ってみたいです(笑)

しかし、こうして改めてこの作品を読むと…単なるノロケをさらしているような、いないような…(笑)
ま、面白いのでいっかな♪←
コメントありがとうございました☆うふふん♪

chacha #- | URL【2011/08/07 15:41】edit

ポジティブなのは良いことだと思いますけどね。
そうやって人は生きていかなければならないと思います。
世が世であれば、ポジティブじゃないと生きていけないと思いますので。
ポジティブの方向性は考えないといけないと思いますが。
結婚線か・・・。
どうも、初めましてです。
場末でファンタジー小説を書いているLandMです。
また読ませていただきますね。

LandM #- | URL【2012/11/27 18:48】edit

>LandMさん♪

お久しぶりです^^
ずっとそちらへお伺い出来ていなくて申し訳ないです;;
HNをちょこっと変更したので…新しい名前では初めまして☆ですね^^(笑)

私も基本ポジティブなんですが、いかんせん女心となんとやら。気持ちにぶれが生じることも多々ですorz
辛い時こそ前向きに。ですよね^^
結局「人生はこんなにも楽しいんだ!」と自分を上手く騙すことこそが、一番幸せなのかもしれません(笑)

お読み下さり、その上コメントまで残してくださり、本当にありがとうございました♪
また久しぶりに立ち寄らせていただきますね~^^

chacha #- | URL【2012/11/29 10:26】edit

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