忘れはしない時と唄

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【小説】親指スマイル 『笑顔の意味』① 

いざ、戦地へ。

情けないことに、足も心も震えが止まらないけれど。





 きっかり二時、KGプライウッドに到着。
 俺はあの時と同じ受付嬢に、あの時と同じ応接室へと案内された。あの時と違うのは、俺自身。だと思いたい。
 いやいや、もう弱気になってどうする。ゆきなが見てるぞ、ラッキースマイル!
 黒い革張りの二人掛けソファーに腰を据えると、地雷を踏んだかのように緊張が足元から一気に駆け上がってきた。二十七歳にもなって、全校生徒の前でスピーチする時のような震え。止まらない。
 そりゃそうだ。あの東部長だぞ。しかも、愚痴っているところを本人に聞かれたんだぞ。
 こういう時はあれだ。自分をごまかすしかない。……そうだ。この震えは緊張からなんかじゃあないのだ。いわゆる武者震いってやつだ。
 って、なんて古典的なごまかしよう! 通じねえよ!

 コンコン。扉に軽い音が響く。
 前に来た時は十分も待たされたというのに、もう来たのか?
 俺は慌てて立ち上がった。慌てすぎて膝をテーブルの角で強打した。

「あの! 先日は大変失礼な態度を取りまして、申し訳ありませんでした!」

 東部長の顔が覗くや否や、俺は開口一番にそう言って深々と頭を下げた。
 まずは謝罪だと思っていた。あの行動は軽率過ぎる。不快な気分にさせてしまっただろう。まぁ、俺も不快な思いをしたけれど。それはそれだ。

「……あの時、私は『もう来なくていい』と言ったんだけどね」

 俺の名刺をビリビリにした後でね。
 頭を下げたまま、その言葉を唾と共に飲み込んだ。ごくり。

「しかも、また君が来たんだね」

 きゅっと靴が床をこする音が聞こえた。近づいてくる。

「ひとまず、座ったらどうですか」

 思いがけない言葉に、俺はぱっと顔を上げた。
 テーブルを挟んで目の前に立つ東部長は、以前と違って穏やかな顔をしていた。
 え?
 そこで俺は再び、彼に失礼な態度を取ってしまった。口がぽかん。
 彼は笑ってどうぞとソファーを指しつつ、先に腰を下ろした。

 あの東部長が、笑っている? あの名刺をビリビリと破いた東部長が? 目の前にいるのは同一人物か?
 どうぞともう一度声をかけられ、俺は心ここにあらず状態でよろよろと腰を下ろした。
 何かが起こっている。何かってなんだ? 何か東部長にとびきりいいことがあったに違いない。
 そうだ。そういうことなんだ。じゃなきゃ、俺に向かってこんな素敵な笑顔……まさに青天の霹靂(へきれき)。

「商品カタログ、拝見しました。気になる商品があったから、話を進めたいんだけど」

 言いつつ、カタログある? と聞かれて俺は我に返った。

「すすみません、もちろんお持ちしています」

 俺は何とか平静を取りつくろった。が、どう見ても声や行動がぎくしゃくしてしまう。こんなギャップありなのか?
 傍らに置いた鞄からカタログを取り出しにかかった時、思い出して胸ポケットをまさぐった。名刺だ。
 戦友二号となるのか不安を抱きつつ取り出すと、東部長が右手のひらを見せて制してきた。

「名刺は前の時貰ったからいいよ、入江さん」
「……は?」

 あの破いた名刺を持ってるのか? いやいや、そんなことよりも。
 俺はその驚きよりも。
 その驚きより、更なる驚きが上回った。今度こそ、口があんぐり。ご丁寧に指まで差してしまう。笑顔の秘密はこれだったのか!

「スマイリー!」

 不覚にも、四歳児のけいくんと同じ言葉を口走ってしまったのだ。



『笑顔の意味』②へ続く
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