忘れはしない時と唄

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【小説】親指スマイル 『二つの再会』① 

戦場に向かう前の

ほんの少しの骨休め





「本当に、お忙しいところご迷惑おかけしまして」

 俺より少し若い風貌の母親。ご丁寧に何やら菓子折りまで下げてきた。少し乱れた呼吸に、うっすら汗が浮かぶ額。どうやら俺を捜していたらしい。
 俺は再びベンチに腰かけ、親子にも隣りに並んで座ってもらった。
 辺りにぎこちなくも温かな空気が流れ、俺と彼女は目を見合わせて小さく微笑んだ。

「ちょっと目を離したすきにはぐれてしまって……駄目ですね、しっかりしてなくて」

 肩まで伸びた柔らかな黒髪を手ですきながら、彼女は申し訳なさそうに笑った。その姿が一瞬、ある人物と重なって見えた。
 こういうしぐさ、よくしていたな。

「私、真鍋といいます」
「あ、僕は入江です。よろしければ――」と、営業の癖ですかさず胸ポケットから名刺ケースを取り出し、手渡した。
 彼女は微笑みつつ、俺の名刺を両手で丁寧に受け取った。その姿に心が和む。

「この子が、入江さんの手にスマイリーがいたよって。失礼ですけど、お子さんが?」
「えぇ、そうですね。今四歳の娘がいまして」
「うちの息子も今年で四歳を迎えたんです」

 その言葉に、俺は少々気まずくなる。見た目で二、三歳くらいだろうと勝手な判断をしていた為だ。だから、「よく、二、三歳に間違われるんですけどね」と彼女が続けて言った時、心臓が飛び出しそうになった。


「それにしても、どこの幼稚園でも流行っているんですね」

 隣りに座る〝けいくん〟に視線を移しながら、彼女は俺に同意を求めるような口調でそう続けた。けいくんは、例の「ラッキー・スマイル」を歌っている。

「そのようですね。娘の通う保育園でも人気のようで……今朝、被害に遭いましたが」

 親指を立て、薄まった「ゆきなの分身」をお披露目した。照れくさくてつい、頬をほりほりと掻く。
 彼女は春風のように爽やかな笑みをこぼすと、私はここに……と右腕の袖をめくって見せてくれた。何とも大きなスマイリーフェイス。さすが男の子、ママが大好きなんだな。
 けいくんは歌い終わると、また始めから歌いだした。おかげで歌詞を覚えそうだ。

「保育園ということは、共働きなんですか?」

 彼女がけいくんの頭を撫でながら訊ねてきた。おそらく、大変ですよね、最近不景気ですもの。私もそろそろ働こうかと……なんて言葉を用意しているかもしれなかった。

「いえ……」

 一瞬迷った。この話題を出してしまうと、気まずくなるかもしれない。しかも初対面の人間にだ。
 だが、少しだけ。
 ほんの少しだけ、妻に似た部分を持つ彼女を目の前にして、俺の弱い部分が言わせてしまった。
 妻は、綺麗な黒髪をしていた。

「妻は一昨年亡くなりまして」

 彼女の息を呑む声が聞こえた気がした。



『二つの再会』②へ続く
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