忘れはしない時と唄

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【小説】一握りの距離 ⑥ 

君と過ごした夏が、君と過ごした時間が。

こんなにも楽しかったなんて。こんなにも嬉しかったなんて。




 翌朝、私はまだ祖父母しか起きていない静かな部屋の中、こっそりと布団から抜け出した。
 寝間着のまま外へと身体を滑り出すと、まだ涼しさを残した朝の中を走った。向かうは、和也の家だ。
 走って、走って、走った。
 風が私の背を押し、脇をすり抜け、手招くように吹き去ってゆく。
 和也の家に向かう途中、私は頭の中でただ一つのことだけを考えていた。
 昨日の姉の態度ことも、急に決まった、「家に帰る」ということも。全て悪いのは――
 謝りたかった。会って、和也にとにかく謝りたかったんだ。

 和也の家を訪ねると、先ほど私を追い抜いていった風が彼に告げたのだろうか。ちょこんと身体を丸めて、和也が門の前に座り込んでいた。
 肩を上下させ、騒ぐ心臓を抑えつつ。私は和也の傍らで足を止めた。
 私を見上げた和也の顔に、いつもの笑顔がなかった。そのことに気づいたのは、私の呼吸が落ち着いてからだ。

「……昨日、俺の姉ちゃんが、ごめんな」
 和也はその言葉を受け入れるように、俯いてしまった。
「……今日、昼前にはもう帰ることになったんだ」
 膝を抱えたまま微動だにしない和也の頭を見下ろしながら、私は続けた。
「なんか、ごめん。色々と、ごめんな」
 ぽた、と小さな音が聞こえた。
 和也の手の甲に、光の粒が落ちているのに気づいた。
「……楽しかったよ、いろいろ、また……俺……」
 声が震えて、何を言っているのか、何が言いたいのか自分でもわからなくなってきた。何故自分が泣いているのかもわからなかった。
 二人の足元を、小さな風が通り過ぎる。

「……これ」
 ようやっと口を開いた和也が、こちらを見上げて手を差し出してきた。
 頬に流れる涙を拭うことなく、握り締めた左手を私の前まで突き出して――
 そうして、いつものように開いて見せた。
「何か、見える?」
 出会った頃と、言い方が違っていたことにその時は気づかなかった。

 私は首を左右に振った。
 和也は小さく微笑んだ。



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